今から約1世紀半前、鎖国が解かれ海外から新しい文化が日本に押し寄せました。新政府はこの洗礼を受け新たな法制度を確立しようとしていました。1872(明治5)年、代言人・代書人・証書人制度が誕生します。後に太政官無号達で司法職務定制が定められました。これはわが国最初の裁判所構成法ともいうべきものでした。 この司法職務定制の第10章「証書人・代書人・代言人職制」 の中に法制度を支える3つの基本的な職能が定められました。 特に代書人・代言人は裁判権の円滑な行使に不可欠な存在として位置付けられます。
(証書人は現在の公証人、代書人は現在の司法書士、代言人は現在の弁護士。)
明治の近代国家建設のうねりの中で、証書人・代書人・代言人の制度がそれぞれ消長を迎えます。代言人は1893(明治26)年、弁護士と名称が変更されました。一方、代書人は法の表面に浮かび上がることなく、深く広く庶民の中で法律実務家として活動を続けました。
その後紆余曲折を経て1935(昭和10)年、司法書士法が制定され、「司法代書人」が「司法書士」となりました。